山形県

03.黒川能について①(上座、下座、太夫など)、夏の風物詩・赤川花火大会

下座太夫とふるさと芸能クラブ

Vol.16

Ep.03

黒川能の起源について正確な記録は残っていませんが、口伝としては800年代後半、第56代清和天皇が黒川を訪れた際に伝えられた、とされます。また、第100代後小松天皇の第2皇子小川宮が諸国行脚の途中黒川に入り(1400年前後)、従者が伝えたとする口伝も。祭の神事で舞う能として継承されてきたことから、能の風体は観阿弥・世阿弥時代のものに近く、現在の能楽五流のどこにも属さず独自の発展を遂げてきました。

黒川能を行う春日神社の氏子は上座(かみざ)と下座(しもざ)に分かれ、それぞれが能座として祭事を執り行います。寛永元年(1624年)にはすでに上・下の能座が組織化されていたという記録があります。平成26年段階で黒川地区の戸数は約300戸。そのうち氏子は230戸余りで、上座90戸・下座120戸・座に属さない氏子が20戸ほど。上座・下座それぞれ70人程度の役者(男子のみの舞方・狂言方・囃子方)で活動を続けています。