山梨県
04.鳥居平の甲州ぶどう、甲州ワイン
Vol.14
Ep.04
日本におけるワインの始まりは、織田信長や豊臣秀吉の元を訪れた宣教師たちが献上したものとされ、秀吉はワイン造りのために京都の聚楽第(じゅらくてい)や伏見城に葡萄棚を作って栽培したとも伝えられています。大宮通りに面していたことから「大宮葡萄」、のちに「聚楽葡萄」とも呼ばれるようになり、幕末まで栽培されていました。
甲州ぶどうは元禄期の1695年、本草書『本朝食鑑』にブドウの産地として「甲州を第一」とする記述があり、この時代すでに江戸で認知されていたようです。豊臣秀吉が天下統一を果たした3年後の1593年、秀吉から甲斐国を拝領して甲府に入ったのは、豊臣家五奉行の浅野長政の息子・幸長でした。彼が地域振興策として取り入れたのが、甲州ぶどうなどの果樹栽培。のちに「甲州八珍果」(葡萄・梨・桃・柿・栗・林檎・石榴・胡桃または銀杏)という、甲斐国を代表する8種の果物を総称する言葉ができますが、その基礎は幸長の施策から始まったといえます。