三重県

04.英虞(あご)湾の真珠養殖

真珠の核入れ作業

Vol.23

Ep.04

紀元前から「人魚の涙」「月のしずく」などと称され珍重されてきた真珠。その養殖の試みは11世紀頃すでに中国で始まっていましたが、当時は現在のような真円ではなく半円形でした。19世紀末に真円の真珠養殖に挑戦した人物が、鳥羽のうどん屋の息子・御木本幸吉です。真珠はアコヤガイの貝殻の細胞が剥がれて貝の体内に入り込み、真珠袋の中で育つことで真円の形になります。この原理はドイツ人のヘスリングによって発見され、日本でも東京帝国大学(現・東京大学)の箕作佳吉博士が中心となって研究が行われていました。その弟子で、後に御木本幸吉の次女と結婚する西川藤吉は、貝の外皮膜を小さく切り取って貝の体内に戻す「西川式」または「ピース式」を考案。同じ時期に真円真珠の研究をしていた見瀬辰平も、真珠袋を作る細胞を0.5mmの核に付着させて注射器で体内に送り込む方法で特許を取得しました。こうして日本の、この志摩の海から、世界に先駆けて真円の真珠が生まれたのです。