愛知県

03.日本のデンマークと「あいちのかおり」

田植えから1か月後の水張り

Vol.25

Ep.03

大正から昭和初期にかけ、安城(あんじょう)市は農業先進国になぞらえて「日本のデンマーク」と呼ばれていました。明治時代以前までこの地域は「安城ヶ原」という広大な荒れ地。矢作川は流れていたものの、川岸から一段上がった河岸段丘だったため、水をくみ上げることができませんでした。しかし明治13年に明治用水が完成すると、「日本のデンマーク」への道が始まります。それまで2,000haほどだった水田は8,000haにまで拡大。農会(農業改良を目的とした戦前の主要農業団体)が結成され、農林学校や農事試験場が開設されます。これらの指導のもとで先進的な農業改良事業が行われました。その一例が、米作りにかたよった単作農業ではなく、畜産や園芸など複数の品目を組み合わせて行う複合型経営の多角的農業でした。さらに、農産物の販売や資材の購入を共同で行う方法も取り入れられ、安城市は当時の最先端農業の地として「日本のデンマーク」と呼ばれるようになったのです。