長野県

01.信州・上田の農民美術と伝統野菜の山口大根

山本鼎の自画像

Vol.15

Ep.01

1919年に版画家の山本鼎(かなえ)が長野県で始めた「農民美術運動」。当時深刻な不況下にあった農村部では、若い世代の都市への大量流出や小作料を巡る地主との対立など、様々な問題を抱えていました。洋画家・版画家として活躍していた山本は1912年にフランスへ留学。その帰路に立ち寄った革命前夜のモスクワで、ロシアの民衆芸術と出合います。当時ロシアでは、「芸術は一部の特権階級を満足させるための贅沢なものではなく、一般庶民の幸福に貢献する役割を果たすべき」(トルストイ)という考えが台頭していました。

帰国した山本は日本の農村の悲惨な現状を目の当たりにし、農閑期に農民たちが創作活動を行って収入を得ること、経済と文化、生活と芸術を両立させ、新しい農村社会、農村文化をつくることを提起します。この農民美術運動は日本各地に広がり、文学では1924年に農民文芸研究会が立ち上がり雑誌『農民』を刊行。農村の家庭雑誌『家の光』も1925年に産業組合中央会によって創刊されました。