埼玉県

07.東秩父村の和紙作り。細川紙の紙漉きと江戸小紋

約1,300年前から続く紙漉き

Vol.22

Ep.07

和紙は日本仏教の一大拠点にして学問の中心地でもあった高野山(こうやさん)で、多くの紙需要に応えるために麓の細川村で作られたことから「細川奉書(ほそかわほうしょ)」「高野(こうや)紙」とも呼ばれました。その生産には清冽な水を大量に要し、かつ低温で行わなければならないため、細川村のような山間部の農村の冬の副業として各地に広まりました。

秩父でも紙漉きは古くから行われており、平安時代には秩父の紙が朝廷に納められていたという記録も。さらに大量の紙が消費されるようになった江戸時代、秩父では高野山の細川村から先進的な生産技術を導入したため、「細川紙」と呼ばれるようになったようです。

高野山の細川奉書は製紙業の近代化と和紙から洋紙への変遷で急激に衰退、平成18年頃に最後の紙漉き職人が引退してしまいます。一方秩父ではいまだに数軒の工房が存続しており、島根県浜田市の「石州半紙(せきしゅうばんし)」、岐阜県美濃市の「本美濃紙」とともに、秩父の細川紙はユネスコの無形文化遺産にも登録されています。