埼玉県

08.三富新田の循環型農業と雑木林の役割

苗床での種イモの伏せ込み

Vol.22

Ep.08

三富新田(さんとめしんでん)は今から約320年前、川越藩主・柳沢吉保の命によって開発され、道沿いから屋敷地、耕地、雑木林を1区画として、幅40間(約72m)、奥行き375間(約675m)、計5町歩(約5ha)が農家一戸あたりに配分されました。

中でも特徴的なのが雑木林。痩せた武蔵野台地で農業をしていく上では、大量の肥料が必要です。水田には山から養分を含んだ水が流れ込むため、一定の養分が自然に供給されますが、畑は定期的な養分補給が欠かせません。その上この地では乾燥して痩せたところに強い季節風が吹くため、肥料はすぐに飛ばされてしまいます。

そのため、雑木林の落ち葉を堆肥の原料にしたほか、小枝は薪などの燃料として使い、さらに家や畑を守る防風林の役割も果たしました。それでも、江戸の街から出る人糞を堆肥として使用する当時の循環型農業が確立するまで、肥料不足の問題はこの地の人々を苦しめ続けました。

その状況を好転させたのがサツマイモという救荒作物だったのです。