東京都

05.江戸東京野菜を守り伝える

江戸東京野菜収穫体験&山分けの参加者

Vol.36

Ep.5

江戸東京野菜の始まりは江戸時代初期。全国から多くの人が集まった江戸では急激な人口増により新鮮な野菜が不足したため、幕府は近郷に畑を設け、各地から呼び寄せた農民に野菜栽培を奨励しました。さらに参勤交代によって江戸に集められた地方の大名たちも、それぞれの地元から野菜の種を持ち込み栽培。こうして全国の野菜が江戸に集まり、江戸の気候や風土に合った野菜が固定種として定着したのが江戸東京野菜のルーツです。

街道沿いには多くの種屋が店を開き、江戸の野菜は手軽な土産として地方にも還流。江戸時代に三河島(現在の荒川区)で栽培されていた「三河島菜」などは昭和初期に絶滅したといわれていましたが、江戸から持ち出された種が仙台に渡り「仙台芭蕉菜」として存在しており、じつは江戸東京野菜であったことが判明しています。

都市化やF1品種の台頭によって姿を消しつつあった江戸東京野菜ですが、その伝統を絶やすまいと発足した江戸東京・伝統野菜研究会を中心に、JA、生産者、流通業者、飲食店、小中高校や大学など、多くの人たちが新たな品目の発掘と復活、普及に取り組んでいます。