和歌山県

04.紀州南高梅の収穫。塩漬けから天日干しを経て梅干しに

収穫時の紀州南高梅

Vol.09

Ep.04

奈良時代には菓子として、平安時代には薬効を持つ食べ物として、梅は貴族や僧侶の間で広く食されてきました。鎌倉や戦国時代には武士が好んで梅干しを食べ、江戸時代になると庶民の間でも大量に消費されるように。

これに目をつけたのが、現在の田辺市やみなべ町を所領していた紀伊田辺藩(旧紀州藩田辺領)でした。紀伊田辺藩の領地は中山間地で水田などの耕作地が限られていたため、苦肉の土地利用策として梅栽培を奨励したのです。元々この地には荒れ地や山の斜面で自生するやぶ梅があり、これを植えて梅林にしました。

やがて紀伊田辺藩の梅干しは江戸で人気を博しますが、巧みだったのはブランド戦略。梅干しを詰めて出荷した木の樽一つ一つに「紀伊田辺産」の焼き印を押し、紀伊田辺産と他産地との差別化を図ったのです。当時、農産物にこうした産地名をつけて販売する例は少なく、これが江戸っ子の間で「梅干しなら紀州田辺」というイメージを定着させました。