和歌山県
06.南高梅の農家直伝、絶品の梅干し料理
Vol.09
Ep.06
そのまま食べてもおいしい梅干しですが、梅農家には産地ならではの様々なレシピが。
江戸時代から人気ブランドだった和歌山の梅ですが、絹産業が爆発的に発展した明治初期、この地の梅林は一時、養蚕農家の桑畑に変わりました。その後、明治20~40年頃にかけ、日本が日清戦争から日露戦争へと軍備を拡張する中、軍隊の常備食として梅干しの需要が増加。桑畑は再び梅林へと戻ります。そんな中、高田貞楠(さだぐす)という人物が購入した梅の苗の中に、緑色とあかね色のグラデーション(これを地元では“虹が出る”という)が鮮やかで大きな実がたくさんなる木が1本だけありました。これが現在の南高梅(なんこうばい)の元となる高田梅の原木です。
昭和25年に梅優良母樹調査選定委員会が発足し、高田梅が最優良品種と評価されました。その後昭和40年、高田の名と調査に貢献した南部高校の名をとって「南高梅」と命名。ここから栽培が広く普及しました。
1本の木から生まれた南高梅は、現在、みなべ町で生産される梅の約7割を占めます。